恋愛セミナー52【竹河】第四十四帖 <竹河-2 たけかわ> あらすじ次の正月、男踏歌が催され、冷泉院のもとにも薫や蔵人の少将をはじめ大勢の若者がやってきました。 蔵人の少将は謡い舞いながらも、すでに懐妊している大姫のことを思って涙があふれます。 舞が終わったあと、薫は冷泉院に呼ばれて大姫の琴に合わせて琵琶を弾かされました。 拙かった大姫の琴が冷泉院の教育で上達しているのを聴きながら、御簾の内に思いを馳せる薫。 それでも涙がでるほど心惑うことはありません。 大姫には女宮が生まれ、冷泉院の寵愛がますます深まります。 弘徽殿の女御の女房達はおもしろくなく、大姫の女房達と争うことが多くなり、娘を思って心労が深まる玉鬘。 髭黒の大臣の存命中から大姫の入内を楽しみにしていた帝からも恨まれているので、玉鬘は中の姫に 長年勤めてきた尚侍の位を譲り、宮廷に仕えさせることにしました。 玉鬘は中の姫の世話のためには宮廷に参代しますが、大姫のもとには冷泉院を警戒して行くことはありません。 数年たっても大姫への冷泉院の愛は変わらず、今度は男御子さえ生まれました。 ついに弘徽殿の女御本人も嫉妬をし始め、世間の人々も後から入った大姫を悪く言います。 この頃になると薫や蔵人の少将も出世をして大姫にも相応しい身分になっていたので 「どうして面倒な冷泉院のもとなどに。」と言う女房達の声を、玉鬘は心苦しく聞いています。 大姫は心労から実家に戻ることの多くなりましたが、中の姫は宮廷で華やかにときめいています。 左大臣が亡くなったため、夕霧が新しい左大臣に、按察使の大納言が右大臣に、あの蔵人の少将だった人は宰相の中将になりました。 薫は中納言に昇進したので、玉鬘の屋敷に挨拶に訪れます。 自分の息子たちの昇進が遅れているのを味気なく思いながらも、薫の訪問を有り難く思う玉鬘。 大姫の苦労をほのめかしますが、「宮仕えに苦労はつきもの。」と軽く受け流す薫。 玉鬘は薫の言葉に苦笑しつつ、いよいよ風情ある様子の薫が婿であったらという考えが浮かびます。 右大臣になったもとの按察使の大納言の屋敷はすぐ隣で、その権勢を見ながら 「兵部卿宮が亡くなってすぐ真木柱に右大臣が通い始めたのは、はしたないことのようだったけれど、 今も仲睦まじくしていらっしゃる。男女の仲というものはわからないもの。」 こんな感慨をも、玉鬘はもらしています。 大姫に執心していたかつての蔵人の少将も宰相になった挨拶にやってきて、 「昇進の喜びよりも恋がかなわなかった心残りが増しています。」と涙します。 「昇進を喜ばないなんて。私の息子達も髭黒の大臣が生きていたらこんな風に恋の愛のと惑っていられたでしょうに。」と嘆く玉鬘。 宰相の中将は、いまだに大姫に近づくきっかけを探しているのでした。 恋愛セミナー51 1 蔵人の少将と大姫 忘れえぬ思い 2 冷泉院と大姫 幼き妻を育てる嗜好 3 薫と大姫 心は残りつつも 4 冷泉院と玉鬘 情熱の矛先をみつけて 右大臣の妻になった真木柱は玉鬘の義理の娘にあたります。 二人は同じく最初の夫を亡くしていますが、「紅梅」帖にもあるように真木柱の方は再婚して運勢が開けました。 玉鬘は義理の娘の権勢を横目で見てつつ、再婚という選択肢は考えられないようです。 ところで、雲居の雁の母は皇族の出で、元の大臣と離婚したあと、当時「按察使の大納言」と 呼ばれていた人と再婚し、たくさんの子宝に恵まれています。 真木柱も皇族の出身でやはり再婚相手は「按察使の大納言」。 紫式部の生きていた当時、実在の「按察使の大納言」さんが、再びの恋がうまくいった例となって いたのかもしれませんね。 さて、冷泉院が帝の位を降りてから、悠々と暮らし若い妻を育てるのは、源氏の性癖と共通しています。 ずっと昔の思いを保ち続けたり、晩年になって新しい妻を迎えて周囲の非難を浴びるところも、 桐壺院、源氏と順々に受け継がれてきた傾向。 源氏が藤壺を、柏木が女三宮を奪ったように、蔵人の少将も大姫を、という連鎖も起こりうる可能性も。 前の二つの帖と同じく、「竹河」の話もここで途切れてしまうので蔵人の少将の活躍が見られないのが 残念ですが、玉鬘のその後と共に、想像力を働かせてみるのも一興かもしれません。 恋する人が結婚したあと不幸に見え、手の届く場所にいるときあなたならどうするでしょう。 離婚、もしくは配偶者を亡くしたあとに、あなたは再婚して運勢を開く気持ちになれるでしょうか。 |